大鳥居

寛文6年(1666)に三代目藩主光之侯より奉納された鳥居を再建されたもので、7.5mほど高さを誇る県内最大級の大型石鳥居。
再建前の古い鳥居は、現在も神社神門の脇に横たわっており、その鳥居の柱には「源姓賜松平氏黒田光之建立」と彫刻されています。
この鳥居に掛けられている神額は、奉納当時は金色に輝いておりました。それを守るために鳥居の処に藩主が警護の家士をおかれたのが西新町の発祥と伝えられています。


神楽堂

大正時代の建築です。神楽や筑紫舞の奉納が行われています。
神楽堂としては大きな造りで、通常より高い場所に舞台がありますので、公演のときは多くの人が見ることが出来ます。
ここの中にはいくつかの絵馬が掛けられており、黒田藩御用絵師によって描かれたものもあります。


本殿

本殿は流破風造りです。かつては木造でしたが、不審火により数々のご宝物と共に焼失し、現在は鉄筋コンクリート造となっています。
春の桜、夏の青々とした緑、秋の紅葉など、朱色に塗られた社殿と自然とがあいまって、大変美しく目に映ります。
拝殿には最大50名強の参列が可能で、毎年多くの会社や個人の方々が御祈願を受けられています。


御影石製獅子頭

「令和の御大典記念」「新型感染症終息祈願」「獅子まつりの伝統を繋いでいくシンボル」として、赤と青の御影石で作られた獅子頭。
赤の御影石(雌)と青の御影石(雄)で作られた獅子頭は全国的にみても例がなく、大変貴重なものです。
当宮は江戸時代に疫病が流行った際、福岡藩主が民の安寧を祈った神社です。 その頃から獅子の力で疫病や災いを払ってもらおうと「獅子まつり」が民間の間で始まったとされています。

神楽堂横鳥居前にございますので、お越しの際はぜひこの御影石製獅子頭に睨まれて、大神様にお参りをし、無病息災の御利益を頂きましょう。


利生の水

藩主がこの地を訪れられた折、急の腹痛に悩まされました。
山頂の稲荷神社を守る山伏に祈祷させ水をいただくとたちまち腹痛は治りました。
藩主は大変お慶びになり、庵を建て利生院と名付けられ、山伏を住まわせました。
現在も紅葉山の北側にお堂が残っています。


夫婦松

松は古来より不老長寿・繁栄の象徴とされています。
当宮の夫婦松は地中で根が絡み、木が寄り添うように生えており、長い年月を共にしています。
「夫婦和合」と「恋愛成就」の御利益ありとされています。


子安石

「子安石」は鎮懐石を由来とされています。
当宮の御祭神である神功皇后は新羅に向かわれた時、皇子(応神天皇)を身籠っておられました。
皇后は、戦が終わってから皇子を無事に出産できるよう祈願し、腰に石を巻き戦いに臨まれました。
この時、腰に巻いていた石がのちの鎮懐石と伝えられています。
皇后は筑紫に戻られた後、無事にめでたく御出産され、鎮懐石を祈願の地、深江村の丘上に納めになりました。


歯固め石

赤ちゃんの「お食い初め」で用いられます。

~ 使い方 ~
歯固め石を一つ持ち帰り、きれいに洗います。
歯固め石にお箸をちょんちょんと軽く当て、そのお箸を赤ちゃんの歯茎にちょんちょんと当ててあげます。
その際に「石のように丈夫な歯が生えますように」「食べ物に困らず長生きしますように」との願いを込めて行います。
儀式を終えた歯固め石はもとの台座にお戻し下さい。


宇賀稲荷神社

古くは紅葉山山頂に宇賀神社、稲荷神社の2社が鎮座しておりましたが、大正時代に現在の場所に遷座され合祀されました。
宇賀神社は黒田家の守護神として早良郡田隈村から東山を経て当地に遷座され、稲荷神社は皿山(現紅葉山)の守護神として当地に遷座された神社です。
江戸時代までは、拾六町の行者がお守りしていました。
藩主の体調不良を癒したことから、病気平癒の御利益も信仰されています。


神輿庫

地元の有志により奉納された神輿殿は、神輿ほか、獅子頭などが納められています。
この地域では江戸時代より獅子頭を祀り、夏の間の無病息災を祈願していました。
そのお祭りは現在でも続いており、地域のお祭り
『福岡市無形文化財 紅葉八幡宮獅子祭り』
として定着しています。


紅葉山山頂

二十年程前まで展望台があり、展望台は簡易水道の貯水槽に蓋をしたものでした。
ここに水を貯め、高さを利用して近隣の水道としていました。
今では松、桜、もみじが植えられ、地域住民の憩いの場として親しまれています。


祖霊殿

神道では、亡くなった後も御霊はこの世に留まり、祖先神として家と子孫を守り続けて下さるものとされています。
緑深き高取の森に佇む神道の納骨堂で、古式ゆかしい神道の伝統にのっとり、気品と格式を重んじて設計した室内墓苑です。
現在、常世宮・奥都宮の二棟があります。