御祭神
・神功皇后(息長帯比売命 オキナガタラシヒメノミコト)
第十四代仲哀天皇の后にて應神天皇の母。その身に子を宿したまま軍を率い、三韓を平定するなど伝説的偉業を多く成し遂げ、その後に摂政となります。
明治時代迄は第十五代の帝とした史書もありました。女性の守護神、安産・育児の神様として崇敬されています。
・應神天皇(誉田別命 ホンダワケノミコト 八幡大神)
第十五代天皇であらせられ、大陸の文化・産業を取り入れ、優れた治世を行われました。奈良時代からは国家鎮護の神として皇室や武家から信仰され、庶民の間でもその威きご神徳は篤く崇敬され続けています。 厄除・開運出世の神様として信仰されています。
・菟道稚郎子命(ウヂノワキノイラツコノミコト)
應神天皇の皇子で仁徳天皇の弟。幼き頃より聡明で、勉学に優れていました。播磨国風土記では宇治天皇と記されています。漢籍をわが国で最初に学ばれた方でもあり、文教の始祖として崇められています。子どもの守護神、学問の神様としても崇められています。
・その他の御祭神
玉依姫(縁結びの神)
大己貴命(良縁・子授けの神)
事代主命(えびす様)
菅原神(勉学の神)
金山姫命(金運の神)
稲倉魂命(お稲荷様)
等、全てで十二柱の神様がお祀りされており、当神社にご参拝されますと全国の大社にご参拝された神徳有り、と言われています。
主な御神徳・御利益一覧
(【 】が特に厚く崇敬されています)
【安産】、【子守(まも)り】、【厄除け・災難除け】、【縁結び】、【開運出世】、子育て、子授け、夫婦和合、子孫繁栄、方除け、疫病除け、水難除け、武運長久、武芸上達、勝運、学業成就、合格、病気平癒、無病息災、家内安全、交通安全、海上安全、鎮火・防火、事業発展、福徳円満、商売繁盛、五穀豊穣、金運、豊漁、食物守護、鉱業守護、金属加工、粘土・焼き物、国土安泰、国家安寧
【 】が特に崇敬されているのには、12柱の神様の御神徳、神社名、黒田藩主が大きく関係しております。
【安産】・・・「紅葉」の語源となったとされる「揉み出づ」と赤ちゃんが産道を揉み出るさまをなぞらえ、安産に縁起の良い神社名とされています。
また、福岡藩3代目藩主黒田光之侯の母君は当神社にて安産を祈願され、神社の西隣の産室で世継ぎをお産みになりました。無事にお産まれになったことに感謝し、光之侯の胞衣(胎盤)を境内に埋めたとされています。
【子守り】・・・もみじは古来より子どもの手の形に似ているとされ、子どもの守り神にふさわしい神社名とされています。村人の間では子ども好きの神様として親しまれたそうです。
江戸時代、日本三大騒動のひとつ「黒田騒動」の最中、子どもであった藩主を当宮の神様と氏子たちが懸命にお守りしたと伝えられています。
【厄除・災難除け】・・・福岡藩主の厄年祈祷は当宮で行われておりました。他にも、飢饉や疫病など、藩に災いが起きたとき、歴代藩主自ら当神社に参拝御祈祷されることが慣例となっていました。
【縁結び】・・・かつて当宮が橋本村一円の鎮守であった頃、2代目藩主黒田忠之侯は橋本村の茶屋に来ていました。
その近くで作業をしていた娘(坪坂氏)がうっかり泥を飛ばしてしまい、あろうことかお殿様の袴にかかってしまいました。
その村娘はお殿様の御前に呼び出されます。罰を受けるのではと怯えていた娘にお殿様は優しい言葉をかけ、采女(お手伝い)として城にくるよう伝えました。
お殿様は美しい村娘と恋に落ちたのです。その二人間にできた子が後の3代目藩主となります。
【開運出世】・・・幼き黒田光之侯は、紅葉八幡宮の大神様に藩主になれますよう祈りをささげておりました。
そして無事に藩主になったお礼として、広大な神領と荘厳な社殿等を御奉納され、生涯を通し大切に崇敬されました。
当宮は全国的にも珍しく、一族の守り神から村の鎮守、藩の守護神へと大きく出世、発展を遂げた神社です。
御宝物
紅葉八幡宮には主に藩主よりの御奉納の品を中心に多くの文化財があります。神社、地域にとりましてたいへん貴重、重要な資料でもありますので一部をご紹介いたします。
詳しい文化財のページはこちらです。